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HISTORY倶楽部の歴史

紡ぎ征く伝統と、栄光の軌跡・・・

三甲ゴルフ倶楽部 ジャパンコースは、後世の評価に耐えうる伝説的なゴルフクラブを目指し、平成2年に開場いたしました。

開場以来、「次代の日本ゴルフ文化へ贈るにふさわしいクラブはいかに在るべきか」という崇高なテーマを掲げ、将来その存在が日本のゴルフ界に寄与しうる名コースを創造するために、あらゆる点においてエクセレントであることにこだわリ続けています。

2022年にはいよいよ「第87回 日本オープンゴルフ選手権」が三甲ゴルフ倶楽部 ジャパンコースにて開催されます。過去にJLPGAツアー競技やJGTOツアー競技の他、2011年には日本プロゴルフシニア選手権が開催されるなど、国内プロゴルフツアー競技でも数々の熱戦が繰り広げられてきましたが、JGA主催本選競技が開催されるのは今回が初めてとなります。

大会に向けてのコース管理は勿論、接遇におきましても徹底した社員教育による質の高いサービスをご提供し、斯界一のゴルフクラブとなることを目指します。

2022年10月、当倶楽部にて「第87回 日本オープンゴルフ選手権」が開催されます。
2023

ACNチャンピオンシップゴルフトーナメント2023(2023年10月5日~10月8日)

 優 勝 稲森 佑貴

『アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ ダイヤモンドカップゴルフ』から新たに生まれ変わった『ACNチャンピオンシップゴルフトーナメント』。その記念すべき第1回大会を制したのは稲森 佑貴。

最終日、首位と2打差の3位から出た稲森は、7バーディ、1ボギーの「66」でプレー。通算17アンダーで並んだ宋栄漢とのプレーオフを制して優勝した。

2022

第87回 日本オープンゴルフ選手権(2022年10月20日~10月23日)

 優 勝 蟬川 泰果

ジャパンコース開場以来初めてのナショナルオープンとなる「第87回 日本オープンゴルフ選手権」を制したのは、アマチュアゴルファーの蟬川 泰果(21)。

タフなコースセッティングにスコアが伸び悩む選手が多い中、初日から首位を守り抜いた蟬川がトータル10アンダーでツアー史上初のアマチュア2勝を達成した。

アマチュアゴルファーが日本オープンゴルフ選手権を制するのは、第1回大会の赤星 六郎以来95年ぶりの快挙となった。

2020

「三甲ゴルフ倶楽部 ジャパンコース」へ倶楽部名称を変更(2020年7月1日)

2015

第1回 ミュゼプラチナムオープンゴルフトーナメント(2015年7月9日~7月12日)

 優 勝 金 庚泰

第1回ミュゼプラチナムオープンゴルフトーナメントを制したのは、笑顔はじける29歳キムキョンテ。3日間首位をキープしたJ・B・パクと4打差で最終日を迎えたキムは、フロントナインでスコアを伸ばせなかったものの、折り返しの10番ホールのバーディー奪取をきっかけに波にのり、12番でもバーディー。

他の上位陣がスコアをじりじりと落とす中、15番からの連続バーディーでついにトップに浮上。日本ツアーでは4年ぶりに、見事な逆転勝利を果たしました。

第1回 ミュゼプラチナムオープンゴルフトーナメント
2011

第50回 日本プロゴルフシニア選手権大会(2011年10月6日~10月9日)

 優 勝 金 鍾徳

3日目単独首位のシニアルーキー金鍾徳(キム・ジョンドク=韓国、50)が最終日も5バーディー、3ボギーの70とスコアを伸ばし、通算13アンダー、275で逃げ切り優勝を飾った。中島常幸は12位タイ、青木功は49位タイ。
金鍾徳は、日本のレギュラーツアーでは4勝している実績がある。

レギュラー時代はジャンボ尾崎をアウトドライブしてジャンボをあわてさせたエピソードもある。細身の体でシニアになっても「平均285ヤード」とよく飛ばし、バーディーも4日間で21個奪取した。また、2010年シニア賞金王の倉本昌弘は、7番(511ヤード、パー5)で、シニアツアーでは21年ぶりとなるアルバトロスを達成した。

第50回 日本プロゴルフシニア選手権大会
2005

第15回 サントリーレディースオープン(2005年6月9日~6月12日)

 優 勝 不動 裕理
ベストアマ 金 誦熙(8位T)

不動裕理(28)がコースレコードタイの64を出し、4打差を逆転。国内4日間競技の全てを制し、ツアー通算34勝目を飾った。

2打差の2位には大場美智恵(32)が入り、単独トップだった大塚有里子(30)は4位タイ。注目の宮里藍(19)は12位タイに終わった。

5年連続の賞金女王の実績はダテではなかった。1番を3.5メートルにつけて逆転劇の幕が開く。5番2メートル。6,8番は1.5メートル。前半で大塚に追いつき、 大場をリード。11番では一度大場にトップを譲るが12番からの3連続バーディーで流れを一気に引き寄せた。

第15回 サントリーレディースオープン
2004

第14回 サントリーレディースオープン(2004年6月10日~6月13日)

 優 勝 宮里 藍
ベストアマ 横峯 さくら(18位T)

本大会にサントリー所属プロとして初参戦した宮里は、初日首位に3打差で8位の好発進をみせる。

2日目、台風の影響で33名もの選手がラウンドをすべて回れずに中断する中、ショットが好調の宮里はスコアを縮め首位に立った。

トーナメント最終日。暫定首位に立っていた米山が序盤スコアを崩すと、その後を追っていた宮里が2番でバーディーを奪い勢いに乗る。その結果、11アンダーと完璧なゴルフを展開。開幕戦のダイキンオーキッドに続き、2勝目。通算3勝目を獲得した。

第14回 サントリーレディースオープン
2003

第13回 サントリーレディースオープン(2003年6月12日~6月15日)

 優 勝 李 知姫
ベストアマ 宮里 藍(13位T)

優勝は70で回った前日首位の韓国の李知姫(イ・チヒ)。

18番で行われたプレーオフ1ホール目、グリーン奥のカラーから8メートルをパターで沈めてバーディー。 一方、通算16アンダーで並んだ台湾の魏(フリー)は5メートルのバーディーパットをはずした。

苦しんだ本戦とは対象的な、あっさりとした決着だった。

第13回 サントリーレディースオープン
2002

第12回 サントリーレディースオープン(2002年6月13日~6月16日)

 優 勝 坂東 貴代
ベストアマ 宮里 藍(3位T)

プロ9年目の坂東貴代がプレーオフの1ホール目で山口裕子を破り初優勝、賞金1,080万円を獲得した。

プレーオフは通算8アンダーの2人が18番(パー4)で争い、坂東がパーで切り抜けて決着をつけた。

首位と2打差の2位で発進したアマの宮里藍(宮城。東北高)73とスコアが伸びなかったが、自己ベストの3位タイに入った。

第12回 サントリーレディースオープン
2001

第11回 サントリーレディースオープン(2001年6月7日~6月10日)

 優 勝 服部 道子
ベストアマ 宮里 藍(41位T)

首位スタートの服部道子は、前半リードを許したものの、バックナインを4バーディノーボギーで逆転。通算9アンダーで約2年ぶりの優勝を飾った。

2位にはただ一人4日連続アンダーパーの山田かよ。ベストアマには、2年連続予選通過を果たした宮里藍。

第11回 サントリーレディースオープン
2000

第10回 サントリーレディースオープン(2000年6月8日~6月11日)

 優 勝 中野 晶
ベストアマ 古関 美保(18位T)

5打差をつけた中野は勝利をかみしめるかのように、慎重にラインを読んだ。80センチのパットがカップに沈むと、軽く頭を下げる。ベスト5に5回入りながら、優勝を逃し続けてきた鬱憤をバーディーラッシュで吹き飛ばした。

1打差2位でスタートした中野は5番で首位に立つと、9番から6連続バーディーを奪い独走。終盤こそスコアを落としたものの、1ラウンド最多タイ記録となる9個のバーディーを奪い67をマーク、2位に5打差をつける圧勝だった。

3日目まで首位だった久保樹乃は井上真由美と並んで2位。アマ史上最年少で予選を通過した宮里藍は23位だった。

第10回 サントリーレディースオープン
1999

第9回 サントリーレディースオープン(1999年6月11日~6月13日)

 優 勝 肥後 かおり
ベストアマ 古関 美保(18位T)

通算10アンダーで並んだ肥後かおり(30)と入江由香(30)のプレーオフになり、肥後が4ホール目でパーセーブをして激闘にピリオドを打った。

今季初V、ツアー通算8勝目を飾った。プレーオフ4ホール目。先にパーパットを沈めた肥後は、入江のボールがカップに蹴られた瞬間"ライバル"に向かって歩き出した。

30歳同士の2人は、10年来の仲間。熾烈な争いを演じた互いの健闘を讃え、しっかりと笑顔で抱き合った。

第9回 サントリーレディースオープン
1996

第6回 サントリーレディースオープン(1996年6月6日~6月9日)

 優 勝 元載淑
第6回 サントリーレディースオープン
1990

オープニングセレモニー(1990年11月25日)

今は亡き越後正一氏名誉理事をはじめ、コース監修者の金田武明氏、佐治敬三理事長など、JMGC開場にご尽力を頂いた方々と共に、記念すべきテープカット。
この瞬間、日本ゴルフ文化80余年に新たな流れを刻む当倶楽部の歴史は始まりました。
グランドオープンを記念して行われた9ホールズストロークプレーでは、参加された方々みなさんが、新しいホームコースの感触をじっくり味わわれておりました。

オープニングセレモニー

ザ・ファーストラウンドセレモニー(1990年9月25日)

平成2年9月25日、二ヶ月後のグランドオープンに先駆けて、コース設計者ジャック・ニクラス氏を迎えてのお披露目「ザ・ファーストラウンドセレモニー」が行われました。
本格着工から2年余り、コースもスタッフも初めて経験する晴れの舞台に、いつまでも忘れ得ない爽やかな緊張感が漂いました。
そして、なによりもギャラリーを感嘆させたのが、コース設計者J・ニクラス氏自ら、コースの出来栄えを確かめたファーストラウンド。氏が理想とし氏の作品として恥じない完成度が確認されました。

ザ・ファーストラウンドセレモニー
1989

J・二クラス本格的に現地視察(1989年10月19日)

企画段階から、精力的な討議を重ね、コース造形工事が始まって以来も、何度も現地入りを繰り返すJ・ニクラス氏。ジャックニクラス・ゴルフサービス社のスタッフと共に、一行は10月19日(木)20日(金)の両日も現地へ。

恵まれた地形や立地条件は、「帝王」と呼ばれるほど、深い知識と豊かな経験を誇る彼を魅了しています。

同氏がこれまでに手掛けた数あるコースの中でも、とりわけ熱が入ると同氏は語る。
次々と芝張り工事も完了していく現地ですが、ひとつひとつのコースを丹念にチェックする同氏の眼差しからも、この地への同氏の愛情の深さがうかがえます。

このような、J・ニクラス氏と共に、一切の妥協を排して取り組み、生み出されたのが当クラブなのです。

1988

ホテルニューオータニでクラブ発足懇親会(1988年10月17日)

ホテルニューオータニでクラブ発足懇親会